若林城について
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ここに一枚の写真があります。若林区に在住の酒井さんが昭和47年(1972)にグライダーから撮った宮城刑務所上空の写真です。写真中央には、明治10年(1877)に建てられ昭和48年(1973)に解体された「六角搭」が写っています。この場所こそが、仙台藩祖伊達政宗が晩年過した若林城の跡になります。
若林城は寛永5年(1628)に完成し寛永13年(1636)に政宗の死去とともに廃絶されます。僅か9年の存続でした。城の規模は東西370m、南北290m程で、周囲には土手が築かれ、その外には25m前後の幅を有する巨大な堀が巡らされていました。出入り口は東、北、西の3箇所で、いずれも張り出しからの横矢で守られていました。さらに門の中を進むと3箇所ともL字形の枡形で守られていました。また、「東奥老士夜話」によれば、東南の隅には櫓があったとも言われています。
(参考文献、仙台市文化財パンフレット第48集「若林城跡と養種園遺跡」、若林城跡第3次発掘調査報告書より)
若林城はその存続期間の短かさもあって謎の多い城です。何故、政宗はこの地に若林城をつくったのでしょうか。謎を解く手がかりが、シンポジウム「もうひとつの城 若林城」の講演記録の中にあります。その一部を紹介いたします。
シンポジウム「もうひとつの城 若林城」
シンポジウム もうひとつの城 若林城
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平成14年11月23日に若林区文化センターを会場に開催されましたシンポジウム「もうひとつの城 若林城」の講演記録集ができました。この記録集はPDF版として公開しています。若林城に関する最新の研究が報告されています。
講師とテーマ- 「問題提起」
- 東北大学東北アジア研究センター教授 入間田宣夫 氏
- 「若林城跡と養種園遺跡」
- 仙台市教育委員会文化財課 渡部弘美 氏
- 「戦国時代の国分氏について」
- 仙台市博物館市史編さん室 管野正道 氏
- 「若林城下町と仙台城下町」
- 東北大学附属図書館研究員 千葉正樹 氏
- パネルディスカッション
- コーディネーター 入間田宣夫 氏
- パネリスト 渡部弘美 氏
- パネリスト 千葉正樹 氏
- パネリスト 管野正道 氏
講演記録集はこちらから
| 講演記録集 A4版60頁 (6.15M) |
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問題提起
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「若林城、養種園、その先の薬師堂、この辺りが地域のセンターだったんですね。現在、区役所があって、市民センターがあるというのは偶然とは言えない。長い歴史があって、こういうものができているというふうに思うんです。『場』の力というのでしょうか。」(入間田宣夫氏、講演記録集より)
若林城跡と養種園遺跡
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「七郷堀は、藩主政宗が東方の田畑のためにつくったという伝承もあるのですが、どうもそれだけではなさそうです。高級陶磁も出てますし、船着き場のようなところもありまして、水運をやっていておかしくないというふうにも思っています。」(渡部弘美氏、講演記録集より)
戦国時代の国分氏について
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「どうも戦国時代には、東街道のルートに沿って、比較的当時としては規模の大きなお城が点在して、それに必ず付随する町場集落があるようです。恐らく南小泉付近の町場集落というのも、そういった中でかなり大きめの集落だったのではないかと考えています。」(管野正道氏、講演記録集より)
若林城下町と仙台城下町
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「若林城下町計画の中に原町が視野に入っていることに注意をする必要があります。若林と原町は大分離れているのですが、政宗の指示は、原町をも若林城下町の計画に含めて指示しています。」(千葉正樹氏、講演記録集より)






