4)大 満 寺

 

 

 

 

大満寺

(大満寺)

大満寺周辺地図

4) 大 満 寺(だいまん じ)

◇ 所在地 泉区小角字大満寺5番地

○ 正式名称は「虚空藏山大満禪寺」、曹洞宗で洞雲寺(泉区山の寺二丁目)の末寺である。

・ 山門に掲出された由緒書によると、寛正元年(1460年)國分盛行の外護により、古内近江守が開基し洞雲寺の實底和尚が開山したという古い寺である。

・ 二代藩主伊達忠宗の霊牌が安置されており古内主膳廣夫婦の墓の隣に、忠宗公供養の「毘盧舎那佛(びるしゃなぶつ)」の丸彫石像がある。

○ 古内家(岩沼市)の菩堤寺で、伊達忠宗逝去の後を追い殉死した筆頭家老古内主膳重廣夫妻の墓が裏山の小高い場所にある。

・ 本堂前庭入口西側の仙台市泉斎場の上方に墓へ通じるコンクリート製階段と案内板があって、杉林の中を登り詰めたところに石仏1基と墓碑7基があり、正面左手の一番奥の石塔が古内主膳重廣夫妻の墓碑である。

同所には追腹した家臣3名の墓もある。

○ 古内主膳重廣は藩主伊達忠宗の命を受け、栗原郡―迫町の―迫川から灌漑用水を取水する「伊豆野堰」建設とその用水路の開削に尽力しており、伊豆野堰の受益農家の方々が毎年訪れ重廣の墓前に香を手向けている。

○ 宅地開発計画に伴い昭和50年に根白石の太白山(姥子山)から古内家累代の墓所に移設した「藏經壇碑」がある。

・ 碑は古内主膳重廣の殉死後に夫人が建立したもので、重廣の経歴等が重廣と親交が深かった儒者内藤以貫の撰文で刻まれている。

 

古内主膳重廣の墓地への登り口

古内主膳重廣の墓地への登り口

古内主膳重廣の墓地

古内主膳重廣の墓地(石仏の左後の墓碑)

古内主膳重廣夫妻の墓碑

古内主膳重廣夫妻の墓碑(台座なし)

 

古内主膳重廣の墓

蔵 経 壇 碑

蔵 経 壇 碑

大満寺霊光堂に安置の古内主膳重廣夫妻の像

大満寺霊光堂に安置の古内主膳重廣夫妻の像

 

 

 

 

 

 

5)福

6)貴

 

 

 

 

 

 

 

福澤館跡・貴船神社周辺地図

5) 福澤館跡(ふくざわたて あと)

◇ 所在地 泉区小角字館

○ 七北田川と支流西田中川との合流点右岸の高台が「古内主膳重廣」の居所「福澤館」の跡地である。

同館の敷地は東西約100b南北約200bの長方形であった。

○ 現在、跡地に農家2戸と2社の工場があるほか、水田、野菜畑、草地などになっていて館跡の面影は残っていない。

・ 相沢剛宅(館11番地)敷地南側に東西に延びる土塁があったが、昭和34年土塁南側の畑を水田に転用する工事の際に土塁を全て崩して整地した。

その後土塁があった場所は工場用地の一部に再転用されている。(小角字館前1番地 潟jューテクノ)

・ 若生よし宅(館15番地の2)北側にも土塁があったが、同人宅で東側へ工場を新築した際に同所を駐車場にするため土塁を全部崩したとのことである。

○ 地名の「小角字館」は「福澤館」に由来したものと思われる。

 

福澤館跡

福澤館跡(右端の工場裏に土塁があった)

飯石明神社

飯石明神社(木製の祠)

※ 一口メモ(「飯石明神」について)

○ 若生よし宅裏の敷地内に朽ちかけた木製の祠があり、木製の小さな長持が納められている。(長持の収納物は不明)

若生よし氏によれば、祠は現在地の東約5bに現存する楓の古木を根元に鎮座していたが、同人宅で作業場を建築する際に現在地へ移したものである。

・ 泉氏誌(昭和61年11月 1日発行)によると「封内風土記」(安永元年編纂)の「小角邑」の項に次のように記述されているとのことである。

『飯石明神社、古内鐵右衛門眞永ノ別荘ニ在リ、石神ト稱ス。父母石ト稱スルニ塊有リ。

子石年ヲ追テ生ズ。今有ル所ノ父母石共百二十八塊』(原漢文)

・ 祠の周囲に球形の大小の自然石が多数あるが100個を超えるほどの数はなく、またどれが父母石が判らない。(前ページの写真)

・ 口伝によると、夜泣治癒を祈願し神社の石1個を借りて子供の枕元に置くと治るというご利益があり、石を返納する際にお礼に新たな石1個を奉納する風習があるとのこと。

 

若 宮 八 幡 神 社 全 景

若 宮 八 幡 神 社 全 景

若宮八幡神社保尊会設立の由来書き

若宮八幡神社保尊会設立の由来書き

※ 一口メモ(「若宮八幡神社」について)

○ 福澤館の西方約500bの水田の一角(小角字宮囲)に鎮座し、福澤館の古内家の氏神であった。

・ 古内家による管理が全く行なわれず荒廃する一方であったため、地元信者8名が「若宮八幡神社保尊会」を組織し、費用を出資して管理している。

・  国道457号線の付替え工事が進行しており同神社も移転が余儀なくされているが、遷座地は未定である。(保尊会の相沢剛氏談)

 

6) 貴船神社(きぶね じんじゃ)

◇ 鎮座地 泉区小角字明神2番地

○ 鼻毛橋バス停の東の三叉路を北進すると左側に「貴船神社」の案内板がある。七北田川を隔てて「福澤館」の真向いの小高い杉林の中に鎮座しており、同館の氏神であったとも言われている。

○  貴船神社の本社は京都の貴船川上流に鎮座し、水源の清浄を司る神として崇められ、同時に雨水を守護する(降雨と止雨)神、雷の神でもある。

・ 京都の貴船神社について「鞍馬山の貴船明神は龍神にして賀茂神社の摂社なり」とされていたことからすると、古内の賀茂神社が塩釜から遷座された元禄9年前後に、貴船神社も塩釜から現在地へ遷座されたものと考えられるとのこと。

○  神殿の箱棟に利府の地を支配していた岩切城主留守氏の紋章(菊・桐)が付いており、当地への遷座に際しては神殿を新たに造営せず、解体、搬入して元通りに組み立てたと推定されている。

 

貴船神社の参道入口

貴船神社の参道入口

(奥の赤い屋根が社殿の鞘堂)

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