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ム.陸奥の国奈良天平の伽藍かな

714(天平13)年聖武天皇は諸国に国分寺(国分僧寺)と国分尼寺を建立することを命じた。国分寺は丈六(一丈六尺=4.8m)の釈迦像を本尊として、聖武天皇直筆の金字金光明最勝王経を納める七重の塔を備えることになっていて、金光明最勝王経などの護国経典の力で国家を鎮護してもらうことを願ったのである。

 

陸奥国分寺、若林区木ノ下

日本最北端の官寺。この場所は大和中央政権と北の蝦夷の接点と考えられる。郡山官衙、多賀城政庁などは大和政権と蝦夷政策の最前線である。

完成時の記録はない

762(天平宝字6)年に修造された多賀城第二期の瓦と同じからこの前後

869(貞観11)年……大地震で被害、まもなく復興

瓦は台原・小田原窯跡で制作。柴・苅・行など

873( 〃15)年……五大菩薩像を奉納(蝦夷の反乱鎮圧の目的)

934(承平4) 年……七重塔落雷消失

984(永観2) 年……金泥書写の大般若経盗まる

律令国家の衰退とともに国分寺も次第に凋落。

1189(文治5) 年……頼朝奥州征伐、宮城郡国分原鞭館(仙台市榴ヶ岡)が戦場(保元の乱の最後)で陸奥国分寺焼失。

 

寺域の規模

242m四方で南門・中門・金堂・講堂・七重塔・僧坊・鐘楼・経楼

 

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